「新しいことを受け入れてもらおうと思ったら、10年はかかるよ」
これは、私が大学4年の時に、「地元に帰って地域を活性化する活動をしたい」と話した時に母に言われた言葉です。
私の地元は、田んぼばかりの広島の中山間地で、小学校(今は廃校)の全校生徒が10人しかいない超々ど田舎です。
高齢者ばかりの田舎では、親世代が動かない限り、地域は衰退していくばかり。
でも、今更活性化するなんて無理、というのが母の意見でした。
(でも、それから父が立ち上がり、今は地域おこし協力隊が入って色々と活動しているようです)
屋久島に来てからの12年間を振り返ると、確かに、“10年”かかるんだなと最近実感しています。
「子どもを自宅で生みたい」と言った時も、
「予防接種は受けません」と言った時も、
病院も、保健師さんも、ほとんどの方が反対しました。
でも、
あれから12年。
病院の産婦人科に対してネガティブな情報ばかりだったのが、今では、その病院で産んだほとんどのお母さんが
「自由に産ませてくれてとてもよかった」
「自宅で生むことも理解してくれた」
と言います。
さらに今年はコロナで島外に出て出産することが難しくなったため、町も出産場所として自宅を視野に入れてくれているようです。
(以前のnote 離島のお産〜新型コロナがもたらしたもの〜)
また、予防接種においても、
屋久島のお母さんたちで予防接種の勉強会をしたこともあって「接種しない」選択をする人たちが増えたため、保健所で反対されることも接種を強制されることもなくなりました。
自宅出産や予防接種をしないことが“正解”ということではなく、出産場所として、「病院」「里帰り」「鹿児島」に、「自宅」が選択肢に入ったということ、予防接種を「受ける」ことが絶対だったのが、「受けない」という“選択”ができるようになったということ。
新しい考え方が認知され、誰もが選択できるようになるまでに、10年くらいかかるけれど、自分の選択を信じて行動し続けていれば、10年もあれば変わるんだ、と分かりました。
そして、今
またしても、選択できるようになったらいいな、と思うことがあります。
それは、
「学校に行かない」ということ。
2年生の次男は、2学期から学校に行っていないのですが、先日担任の先生に、
「私たちはお母さんとお話して考えを知っているのですが、教育委員会からは、ネグレクトではないのか、と言われています」
とお話されました。
勉強しないと将来困る、社交性が身につかない、という心配。
これまでは、私自身もそれに対して「大丈夫」と言える自信がありませんでした。
でも、日々、家のお手伝いをして、自分のやりたいことを自分で叶えて、とびっきりの笑顔で一日を幸せに過ごしている次男を見ていると、「何があっても彼は大丈夫」と思えます。
でもきっとこれも、「行かない」という選択が認められるまでは、時間がかかるでしょう。
「不登校」ではなく、「行かない」という選択。
いつか、それもアリだよね、となる時代が来るでしょう。
今は時代の変化が早いし、島外ではすでに前例がたくさんあるから、きっと10年もしないうちに。
その時まで、
周りから批判されても、笑われても、
「あなたは大丈夫」と子どもを、そして自分を信じ続けてあげたいです。